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学校沿革史

 明治25年、「簡易教習所」として開校し、今年で128年を迎えます。学校の裏手には市役所、広島神社、体育館横にはJR千歳線、平行してサイクリングロード(エルフィンロード)があり、北広島駅、 市街地へのアクセスは非常に便利です。

①「5月23日は開校記念日

 5月23日は東部小学校128回目の開校記念日です。明治20年(1887年)5月、和田郁次郎はたいへん厳しい状況の中、20坪の建物で私立学校を始めました。その後、明治25年(1892年)、修業年数3年間の広島簡易教育所となりました。以来、128年の歴史を数えます。昭和9年(1934年)5月23日に新築落成開校式を行ったことから、この日を開校記念日と定めています。

 東部小学校の礎を築いた和田郁次郎は、今から136年前の明治17年(1884年)5月23日、広島県人移住団体18戸を主導し、輪厚川沿いの中の沢に入植しました。この5月23日にちなみ、新校舎の落成開校式を行ったのかもしれません。開校当時、この辺りは「広島開墾地」と呼ばれていました。戸数400戸、田畑620町歩でした。米の生産高4,800石は、北海道一だったそうです。昔の学校のことや先人の労苦について話すきっかけになるとよいと思います。
 

②「最初の校舎はどこ?」

       

 開拓記念公園内に「廣島(ひろしま)村 この地に はじまる」という石碑〈写真左〉があります。東部小学校もそこにあったのでしょうか。

今の場所に校舎ができたのは昭和9年(1934年)です。それまでは共栄町1丁目、北の台クリニック駐車場付近にありました。


 明治25年(1892年)より前には和田郁次郎の家〈写真〉が学校の役割をしていましたが、場所は中央1丁目北広島交番のあたりだそうです。

 この石碑はもともと輪厚川沿いにありましたが、昭和59年、ひろしま100年を記念して作られた開拓記念公園(中央2丁目)に移されたものです。
 

③「北広島の米作り


 6月に5年生の田植えが終わりました。体育館横の学校田には緑色の稲が風に揺れています。東部小学校ができた。

 約120年前、和田郁次郎が拓いた「広島開墾地」にも、同じような光景が広がっていたことでしょう。郁次郎が入植した最初の年は、天候が悪く、霜の被害を受け、米の収穫はほとんどなかったそうです。想像以上の厳しさに、この地を離れようと考える人がいたほどでした。翌年には米を収穫することに成功し、開墾地をどんどん広げていきました。

 しかし、この土地は輪厚川の下流にあたり水害が毎年のようにあったそうです。用水路を掘り、米の収穫量をあげるために力を尽くした記録が残されています。

 今年も天候に恵まれて、たくさんのお米がとれ、5年生がおいしいお餅を食べる
ことができるようになってもらいたいものです。
 

④「広島との姉妹交流」

 東部地区は、明治17年(1884年)和田郁次郎ら広島県人25戸が集団移住し、開かれた土地です。和田郁次郎は、広島県段原(だんばら)村 《現在の広島県広島市南区段原》 の人でした。これが縁で、東部小学校と広島市立段原小学校が姉妹校となりました。昭和39年(1964年)のことです。それ以来、交流を深め、昭和56年(1981年)には東部小学校から親善訪問を行っています。職員室前廊下には、交流の記念品が陳列されています。

 一方、北広島市は、広島市に隣接する東広島市と昭和55年(1980年)7月に姉妹都市縁組を締結しました。昭和61年(1986年)、広島町子ども大使派遣が開始され、昭和63年(1988年)からは東広島市からも子ども大使が派遣されています。東部小学校では子ども大使派遣に先立つ昭和59年(1984年)、東広島市立西条小学校へ親善訪問をしています。

 平成4年(1992年)、東部小学校百周年記念式典には広島市立段原小学校、
東広島市立西条(さいじょう)小学校、高屋西(たかやにし)小学校の3校の児童が
参加しています。現在、姉妹校(交流校)となっているのは、上記の学校の他、
子ども大使が訪問する三ツ城小学校、乃美尾(のみお)小学校となっています。
 

⑤「東広島市について

 夏に子ども大使が相互に訪問し交流を深める東広島市を紹介します。東広島市は人口19万人と北広島市より大きい都市です。昭和49年(1974年)に西条町・志和町・高屋町・八本松町が合併して東広島市となりました。三ツ城小学校がある西条地区は東広島市の中心部で市役所があります。また、酒どころとして有名で、毎年10月には「酒まつり」が催され多くの観光客が訪れます。内陸にあるため、寒暖差が大きく、雪が積もることも珍しくないそうです。「雪合戦ができるぐらいは降る」とのことでした。

 三ツ城小学校は、平成13年(2001年)4月、西条地区人口増加に伴い西条小学校から分離した新しい学校です。児童数840人、28学級と東部小の約2倍の大きさですが宅地開発が進み今も児童数は増加中だそうです。学校のすぐ横には5世紀頃に作られた三ツ城古墳があります。古墳には復元された埴輪約1,800基を配置しており、古墳公園となっているそうです。
 

⑥「和田 郁次郎について

 郁次郎は明治17年(1884年)、広島県人移住団体18戸を主導し、輪厚川沿いの中の沢に入植しました。その年は、天候が悪く、霜の被害を受け、米の収穫はほとんどありませんでした。想像以上の厳しさに、この地を離れようと考える人がいたほどでした。

 また、故郷の広島県では「北海道は気候が厳しい。北海道では米が取れない」と移住者が激減することとなりました。そんな中、稲作に挑戦し続け、大きな成功を納めます。4年後の明治21年(1888)年、広島県からの移住を再開させることができました。その後順調に広島からの移住者は増え続けます。
 


 

 

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