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クラーク博士

クラーク博士の紹介

ウィリアム・スミス・クラークは、1826年マサチューセッツ州に生まれました。
1867年にマサチューセッツ農科大学の学長となりますが、北海道の開拓事業をつかさどる開拓使の求めにより同大学長のまま、明治9年(1876)6月に来日。8月開校の札幌農学校(現北海道大学)の初代教頭に就任し、事実上の創設者となりました。
クラークはキリスト教精神に基づく人間教育を行い、後に北海道帝国大学の初代総長となる佐藤昌介や、道職員として開拓農民の入植地決定など実務で名を残した内田瀞(うちだきよし)など、後に北海道の発展に貢献する人物を多数輩出しています。

クラーク博士の肖像
W・S・クラーク(1826-1886)

クラーク博士と旧島松駅逓所

明治10年(1877)4月16日、任期を終えたクラークは職員や学生たちと札幌を後にし、約20キロメートル離れた島松(現在の北広島市島松)に到着します。
見送りに来た一行とこの地で別れることとなったクラークは、教え子らに「Boys, be ambitious(青年よ、大志を懐け)」という言葉を残し、米国への帰途についたといわれています。
この有名な言葉は誰もが知るところですが、その舞台となったのがここ北広島市だったのです。

その後、教え子らによってクラークと一行が別れた地に記念碑が建てられることとなりました。昭和26年、当時を知る佐藤昌介らの証言から中山久蔵宅(現在の旧島松駅逓所)付近に「クラーク記念碑」が建てられました。

クラーク記念碑の写真
クラーク記念碑
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