極応寺跡と延命地蔵
掲載日:2018年5月5日
極応寺跡
明治31年、白石村説教場の布教師が一寺建立を志し、仁別地区に入り布教活動を行ったのが始まりです。明治34年に現在の場所に移転しましたが、現在御堂は残っておらず、跡地を示す碑が建っています。
「極応寺跡」の碑

極応寺跡地
延命地蔵
もともと三別(現在の三島地区の奥)にあったこのお地蔵さまは、明治30年頃、この地で吹雪のため遭難し、亡くなってしまった入植者を弔うため、その遺族が建立したものだといわれています。昭和3年には周辺住民の有志22名が協力し、木製の地蔵堂が設置されました。しかし三別の住人もだんだん少なくなり、お地蔵さまの維持・管理が難しいということで、昭和55年に極応寺敷地内に移転されました。
平成28年には木製の地蔵堂の老朽化にともない石造へと建て替えられ、建立から110年余りが経過した現在でも、島松の地で多くの人々の健康と繁栄を願っています。

極応寺にある延命地蔵

昭和3年に建てられた木製の地蔵堂
アクセス

所在地:北広島市島松563付近
お問い合わせ先
教育部 エコミュージアムセンター電話:011-373-0188