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極応寺跡と延命地蔵

極応寺跡

明治31年、白石村説教場の布教師が一寺建立を志し、仁別地区に入り布教活動を行ったのが始まりです。明治34年に現在の場所に移転しましたが、現在御堂は残っておらず、跡地を示す碑が建っています。

極応寺跡の碑の画像
「極応寺跡」の碑

極応寺跡地
極応寺跡地

延命地蔵

もともと三別(現在の三島地区の奥)にあったこのお地蔵さまは、明治30年頃、この地で吹雪のため遭難し、亡くなってしまった入植者を弔うため、その遺族が建立したものだといわれています。
昭和3年には周辺住民の有志22名が協力し、木製の地蔵堂が設置されました。しかし三別の住人もだんだん少なくなり、お地蔵さまの維持・管理が難しいということで、昭和55年に極応寺敷地内に移転されました。
平成28年には木製の地蔵堂の老朽化にともない石造へと建て替えられ、建立から110年余りが経過した現在でも、島松の地で多くの人々の健康と繁栄を願っています。

延命地蔵の画像
極応寺にある延命地蔵

昭和3年から55年までの木製の地蔵堂
昭和3年に建てられた木製の地蔵堂

アクセス

アクセスマップ(極応寺跡)
所在地:北広島市島松563付近

お問い合わせ先

教育部 エコミュージアムセンター
電話:011-373-0188
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