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7.5 折り鶴に願いを込めて

 昨年令和2年、北広島市は、広島県の東広島市と姉妹都市締結40周年を迎えました。コロナ禍、ON LINEでの交流のみで、毎年行われていた、両市の交流事業もままならず、平和祈念式典への参列、折り鶴の献納(郵送はできていますが・・)も叶いませんでした。令和3年の交流事業も行き来はできない状況、2年目です。

 平和記念公園内ではいたる所で、色鮮やかな折り鶴を見ることができます。日本の伝統的な文化である折り紙(折り鶴)を平和のシンボルとして、日本に限らず多くの国々で平和を願って折られているそうです。この折り鶴が平和と結びつけて考えられるようになったのは、被爆から10年後に白血病で亡くなった少女、佐々木禎子さんが大きくかかわっています。
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 佐々木禎子さん(当時12歳)は、2歳のときに被爆しましたが外傷もなく、その後元気に成長しました。しかし、9年後の小学校6年生の秋(昭和29年・1954年)に突然、病のきざしが現れ、翌年2月に白血病と診断され広島赤十字病院に入院しました。回復を願って包み紙などで鶴を折り続けましたが、8か月の闘病生活の後、昭和30年(1955年)10月25日に亡くなりました。
 禎子さんの死をきっかけに、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め平和を築くための像をつくろうという運動が始まり、全国からの募金で平和記念公園内に「原爆の子の像」が完成しました。その後この話は世界に広がり、今も「原爆の子の像」には日本国内をはじめ世界各国から折り鶴が捧げられ、その数は年間約1千万羽、重さにして約10トンにものぼります。(東広島市HPより)
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 7月5日(月)に被爆体験のDVDを視聴し、平和への願いを込めて全校生徒で折り鶴を作成しました。生徒会役員が、千羽鶴にして献納のため広島県に贈られます。

    
   
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