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【被災地支援】岩手県釜石市からの報告2

教育部教育総務課 河合 一 主任

昨日 (2月11日) 、市民税係の係長のご厚意とご案内により、震災被災地 (釜石市鵜住居地区、箱崎地区、仮宿地区、大槌町、山田町、宮古市田老地区) の状況を視察させていただきました。
どの被災地も、明らかに住居等の跡と思われる基礎だけが残った光景が眼前に広がり、言葉に言い表すことのできないやるせない衝動に駆られました。

釜石市鵜住居地区は、釜石市において最大の被害を受けた地区です。震災前、この地区は約6千人の市民の方々が生活していましたが、その1割に当たる市民の方々が津波にのまれてしまいました。しかし、この地区にあった小学校、中学校の児童、生徒は、中学生が小学生を誘導するなど、自主的に高台に避難し、全員が無事でした。このことは「釜石の奇跡」として語り継がれています。

釜石市に隣接する大槌町は、被災規模が95%といわれるほどの壊滅的な被害を受けた町です。その象徴が旧大槌町役場庁舎跡です。震災当時、約150名いた職員のうち約40名の方々が犠牲になり、2階建ての庁舎はかろうじて外観はとどめているものの、いまにも崩れ落ちそうな廃墟となっていました。震災の犠牲になった職員の遺族の方でしょうか、庁舎前に設けられた祭壇に手を合わせておられましたが、本当に胸が詰まる思いがしました。

宮古市田老地区は平成の大合併で宮古市と合併した地区です。 昭和8年に発生した三陸沖地震による津波被害等で古くから壊滅的な被害を受けてきたこの地区には、昭和41年に完成したX字型の大防波堤があります。通称「万里の長城」と呼ばれるこの大防波堤でさえも、3年前の大津波の前では赤子同然だったとのことです。この地区には、田老観光ホテルの残骸のみがあり、空虚感は底知れないものがありました。

田老観光ホテルの写真

震災被災地の現状を実際に垣間見ることが出来たことは、大変貴重な経験となりました。
釜石市だけでも約2,400人もの市民の方々が現在も仮設住宅で生活されておりますが、将来の不安などを抱える市民の方々も多いと思いますので、一日も早く安堵ある生活を送っていただきたいと思います。

確定申告の方は、本日はじめて震災被災者の雑損繰越の申告を受け、漁業所得もあり、北広島市内での申告会場では経験することができない申告を受けており、勉強の毎日でもあります。

以上、本日までの近況です。 また、近況報告いたします。

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