ここからサイト内共通メニュー

ここから本文です。

印刷する

もうひとつの広島村を訪ねて(3.札幌市西区西野)

用水開鑿(さく)記念碑の位置図

もうひとつの広島村を訪ねて(3)
西野に残る開墾用水の碑

札幌市西区西野8条6丁目、西野中学校の裏手に「用水開鑿(さく)記念碑」が立っている。
手稲町誌(昭和43年(1968年)刊)によると、この地は明治4年(1871年)、越後人によって開かれたが、明治18年(1885年)に広島県人の前鼻村七らが入植したことから、「広島開墾」と呼ばれた。前鼻は明治17年(1884年)、和田郁次郎を頼って広島村に入り、その後西野に入植し、四坪ばかりの水田を開いたと記されている。
広報さっぽろ西区版平成13年(2001年)11月号によると、この地では開拓当時、麦、芋などを収穫していた。明治6年(1973年)、島松で中山久蔵が米作りに成功し、明治10年(1877年)には上手稲村でも稲作に成功する。明治19年(1886年)、前鼻は中山から種もみを取り寄せ、十坪ほどのため池を利用してここに初めて水田を開いた。しかし、水田の増加は深刻な水不足をもたらし、明治27年(1894年)に用水路を作ることになった。工事は明治33年(1900年)に終了。長さ4kmに及ぶ「広島開墾用水」が完成し、翌明治34年(1901年)、完成を記念して碑が建てられたのである。
その後、用水の埋め立てに伴い、碑は現在の地に移転されたという。
1月の穏やかな夕暮れ、碑の前に立つ。和田と中山の想いが交わったこの地に、今は住宅が建ち並ぶ。時の流れはこの地から水の流れを失わせたが、碑はその精神を今も語り継いでいる。

「写真:広島開墾用水の完成を記念した碑」
「写真:広島開墾用水の完成を記念した碑」

広告欄

この広告は、広告主の責任において北広島市が掲載しているものです。
広告およびそのリンク先のホームページの内容について、北広島市が推奨等をするものではありません。

  • バナー広告募集中 詳しくはこちらから

本文ここまで

ここからフッターメニュー

ページの先頭へ戻る