廣嶋農業倉庫の軟石(花ホール)
掲載日:2009年3月5日
現代に生かされた島松軟石
「廣嶋農業倉庫」の記憶
北広島駅の東側には、平成4年(1992年)までJA北広島(当時)の倉庫が並んでいた。「廣嶋農業倉庫」はその中で1棟だけ軟石造りの倉庫であったが、平成5年(1993年)に駅東土地区画整理事業の工事が始まり、ほかの倉庫とともに取り壊された。軟石造りの建物は道内各地で保存・活用されている例もあるが、廣嶋農業倉庫の場合は軟石を壁面材として再利用することで、かつて倉庫があった場所の記憶を伝えていくこととなった。
いま、軟石は芸術文化ホールの総合案内窓口や階段の壁面に使われている。窓口の左には説明板があり、この倉庫が籾(もみ)や玄米の貯蔵をするため昭和9年(1934年)に建設されたこと、島松沢で切り出された軟石が使われたことを教えてくれる。
村史(昭和35年(1960年)刊)によると、昭和8年(1933年)に産業組合通常総会で建設が決まったこの倉庫は60坪の本倉と15坪の下屋から成る建物だった。当時の村は農産物価格の暴落や凶作により困窮を極めた後であったが、北海道庁特別指導村の指定も受けて着々と村勢を伸ばしていた。だが、時代は徐々に戦争の色を濃くしていくのである。
西日の差し込むエントランスホール。軟石の壁にそっと触れてみると、ごわごわした質感とともに不思議な温かさが伝わってきた。
「写真:芸術文化ホールの壁面に生かされた軟石」