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大曲集乳所跡

大曲集乳所があった場所を示した図

大曲に残る酪農発展の記憶
乳所があったころの牛飼いの暮らし

国道36号と道道栗山北広島線が交差する所に道央農協大曲支店がある。ここにはかつて、大曲地区の酪農家が切望し設置された大曲集乳所があった。
広島村で牛が飼われるようになったのは明治末期。バターの製造はおろか、牛乳の飲み方も知らない時代であったという。まもなく作物栽培の肥料に牛の堆肥が有効だと分かり、頭数が増えていく。
広島町のあゆみ(昭和47年(1972年)刊)によると、大曲に牛が入ったのは大正11年(1922年)。翌年、大曲酪農組合が設立。牛乳は豊平にある極東練乳会社に販売されていたが、運搬は悪路のため困難を極めた。昭和14年(1939年)、集乳所が設置され、これを中心に大曲の酪農は伸びていく。
祖父の代から大曲に住む佐藤忠吉さんは「集乳所ができたころ、家には牛が2頭いて、毎日20リットルの牛乳を夏は自転車、冬は背負って運んでいました。そこで牛乳を沸かして分離器にかけ、一等乳と二等乳に分けました。一等乳は工場へ、二等乳は脱脂粉乳にして子牛の育成用に。集乳所は昭和30年代末ころに閉鎖されました」と語る。
人口の増加、都市化がまちの様相を変えていく。大曲における酪農の痕跡は国道沿いに建つサイロを残すだけである。しかし集乳所跡に後年建てられた農協が大曲酪農発展の記憶をつないでいる。

「写真:国道側から大曲集乳所跡に建つ農協を見る」
写真:国道側から大曲集乳所跡に建つ農協を見る

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