古い道の名残(共栄)
掲載日:2009年3月5日
暮らしを支えた道の記憶
市役所から道道札幌北広島自転車道を北に約500m。広島公園の辺りで総合体育館のある側のJR千歳線下に、長さ4mほどの小さな架道橋(共栄3号架道橋)を見ることができる。この架道橋は、昭和48年(1973年)に国鉄千歳線が北広島・白石間で複線化されたときに設けられた。
祖父の代から共栄町に住む三木秀雄さんは「この辺りには沢があり山坂の険しい所だったんです。架道橋のある場所には、明治30年(1897年)に祖父が中の沢に入植したころ、今のレクの森の方と道道江別恵庭線を結ぶ道があったと聞いています。この道は私道で、道沿いに8家族が暮らし、日常の買物や通学、農作物の運搬に使う重要な道でした。複線化になり架道橋が整備された時には、安全になったとみんなで喜んだことを覚えています。また、共栄地区は昭和50年代に土地区画整理事業が行われ、町並みが一変しました。架道橋下を通る道がなくなったのも、そのころだと思います」と当時の様子を語る。
3月、人通りもまばらな自転車道。ここからは整然と整備された住宅地を望むことができる。
人が増え、まちが発展し、時の経過とともに、失われていく風景や記憶がある。まちに残る諸相とそれにまつわる歴史を次代へと伝えていくことが必要である。人々の記憶が風化する前に…。
「写真:総合体育館から見る架道橋下の道の跡」