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三島神社の参道跡

三島神社の参道跡の位置図

里山に残る参道の跡
森に埋もれゆく過ぎし日のにぎわい

旧島松駅逓所から市道島松川上線を4.5km進むと、右手に三島神社の参道跡がある。ここに住む蔵谷愛子さんが神社の記憶を語る。
「昭和23年(1948年)に嫁いできたころは三島の奥にも田んぼや家があって、下の砂利道を人や馬車が行き交っていました。毎年9月20日は神社の秋祭り。発電機を使って参道に裸電球をともし、神社の前では弁士付きの活動写真を上映していました。出店は2、3軒でしたが、新保の沢や三別の沢からも活動写真を見に来て、ずいぶんとにぎやかでした。戦争が始まると、出征する方が部落の皆さんとお参りに来て、次に行在所(あんざいしょ)の神社でお参りをして、それから皆で島松駅まで歩いてお見送りしたものです…」
戦後、この地域の戸数は減少し、新保の沢が自衛隊演習地として買収された。これを機に三島神社が閉じられたのは、戦後開拓の人口増加が落ち着く昭和30年(1955年)ころのことであった。
蔵谷さんに断り、笹をかき分け参道跡を登る。小さく開けた尾根で、見えない力が視線を引き寄せる。そこに、大正4年(1915年)に村の衆が建てた鳥居が、朽ちて立っていた。
秋祭りの夜。裸電球の灯が参道を登る子どもたちの顔を赤く照らす。活動写真に沸く大人たちの笑い声。遠く過ぎ去った記憶の断片は、今も三島の里山に眠っている。

「写真:市道から見える参道の跡(トドマツの列)」
写真:市道から見える参道の跡(トドマツの列)

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