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もうひとつの広島村を訪ねて(1.大滝村)

大滝の山間 広島県人が入植したあたりを示した図

もうひとつの広島村を訪ねて(1)
大滝の山間に残る広島県人の足跡

北広島市から支笏湖を経て、国道276号を行く。虻田郡大滝村の道の駅を過ぎ、喜茂別町へ向かうと、道はやがて「広島峠」に差し掛かる。峠を越えてさらに走り、尻別川に架かる「広島橋」を渡れば喜茂別町に入る。峠と橋に残る「広島」。その由来を調べてみた。
明治17年(1884年)、広島村の開祖・和田郁次郎は輪厚川のほとりに村の基礎を起こしたが、早くから第2、第3の広島村を誕生させようと遠大の希望を抱いていた。その一つが、大滝村にあったと「広島町のあゆみ」(昭和43年(1968年)刊)が伝える。
大滝村史(昭和60年(1985年)刊・抜粋)によると、明治44年(1911年)に広島県人60戸が同村上尻別地区へ入植。初めは和田郁次郎に広島村へ入るように勧められたが、すでに開拓が進み良い土地が残っていないからと、上尻別へ入ったという。また広島橋の由来については、広島県からの団体入植者が現金収入を求めて架けた橋に始まると記されている。
初冬の広島峠に風が吹く。90余年前、開拓の夢と不安を胸に羊蹄山(マッカリヌプリ)を見つめた人々。今ここに集落はなく、秀峰だけがその思いを知る。
同じ故郷からの入植も、北海道を目指した時期と選んだ土地が、歴史を分けた。道内各地に残る入植者の足跡と記憶。その上に、優しい雪が降り積もる。

「写真:旧道が平行して走る11月の広島峠」
「写真:旧道が平行して走る11月の広島峠」

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