ここからサイト内共通メニュー

ここから本文です。

二宮金次郎像(西部小)

二宮金次郎像(西部小)の位置図

二宮金次郎像が見つめる輪厚の記憶
やがて消えゆく学び舎の寂しさ

西部小学校の校門を入ると左側、二宮金次郎像がある。
昭和11年(1934年)1月発行の広島村報によると、昭和10年(1935年)12月22日に、この像の除幕式が行われている。
村報には「…銅像が建てられたのは村民が如何に二宮先生の徳を慕ひ精神的更生を目標して居るかが知り得らるる」と書かれ、報徳結社の設立と豊かで平和な理想郷の実現を目指すとも記されている。
同年10月18日、東部小学校にも二宮像が建てられたと村報は伝えるが現在その像は無い。一方、仁別小学校にあった二宮像は東記念館に郷土資料として収蔵された。
二宮金次郎、後の尊徳は江戸時代後期の農政家で、恩と徳に報いる生活思想を広めた。しかし彼の思想は第2次大戦までの教育や戦争の記憶に重なるため、戦後、全国で多くの像が撤去されたという。だが今日に残された二宮像は、苦しさに負けない生き方を伝えながら、大切にされている。
市内の小中学校にある二宮像は西部小学校の一体だけ。この像は、校舎改築と正門移設により台座上で一度向きを変えているが、65年前から同地で、多くの児童と輪厚の変遷を見つめてきた。
現在は、西部小学校の新校舎の移動の際に一緒に移設され、今も輪厚を見つめている。

「写真:西部小学校校庭に立つ二宮金次郎像」
写真:西部小学校校庭に立つ二宮金次郎像

広告欄

この広告は、広告主の責任において北広島市が掲載しているものです。
広告およびそのリンク先のホームページの内容について、北広島市が推奨等をするものではありません。

  • バナー広告募集中 詳しくはこちらから

本文ここまで

ここからフッターメニュー

ページの先頭へ戻る